戦国時代の武将で、房総半島を拠点とする真里谷武田家の一族。上総国造海城と椎津城の城主を務めた。父・真里谷信隆が叔父・真里谷信応と家督争いを起こすと、造海城を任され支援した。小弓公方足利義明の介入で一時的に劣勢となり、父とともに武蔵国へ逃れる。天文7年(1538年)、第一次国府台合戦で北条氏綱に敗れ、父は上総に復権し椎津城に拠ったが、内紛が再発し、勢力が弱まる。天文20年(1551年)に父が死去し、翌年、後北条氏の支援を受けようとするも失敗。里見氏の攻撃を受け、椎津城で自刃し、真里谷武田家は没落した。











