平安時代末期から鎌倉時代中期にかけての武将であり、結城氏の初代当主。源頼朝に従い、平氏打倒に参加し、頼朝の烏帽子親として元服。養和元年(1181年)には頼朝の寝所を警護する11名の一人に選ばれた。義広との戦いでは神託を告げ、頼朝から称賛を受けた。宇治川の戦いや壇ノ浦の戦いで活躍し、奥州合戦でも功績を挙げた。晩年は念仏に傾倒し、結城上野入道日阿と号し、結城称名寺を建立した。弓の達人であり、和歌にも通じた文武両道の人物であった。頼朝没後も幕政に参与しながら、つましい生活態度を貫いた。建長6年(1254年)に87歳で死去。
主な祖先
結城朝光の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
主な子孫





















