甲斐国西部の国人であり、戦国時代に活躍した。上野城(椿城)を本拠とし、武田氏と対立しながらも勢力を拡大する。延徳2年(1490年)、甲斐南部の穴山氏と対立し合戦を起こすが、今川氏親と結び、その影響力を強化する。永正12年(1515年)、武田信虎に包囲されるも今川氏の援助で勝利。後に和睦し、娘を信虎の正室として差し出すが、信虎の政策に反発し再び敵対する。永正17年(1520年)、今諏訪の合戦で敗れ隠居。文化人としても知られ、永正3年(1506年)に飛鳥井雅康から「八代集秀逸」を与えられ、和歌会を主催し「歌道執心の法師」とも評された。











