安土桃山時代の武将で、伊東氏の家臣。永禄12年(1569年)に父が病死し、祖父に養育される。天正5年(1577年)に伊東氏が没落すると大友宗麟の保護を受け、天正8年(1580年)にキリシタンとなり「ジェロニモ」の洗礼名を受けた。安土のセミナリオに留学し、優秀さから天正遣欧少年使節の候補者となるが、留学中で間に合わず除外された。天正15年(1587年)に叔父が飫肥城に復帰すると帰参し、文禄の役では朝鮮に出兵するも病気で帰国。その途中、暴風雨で長門国に流され、同地で病状が悪化し死去した。享年24。暗殺説もある。











