平安時代初期から前期にかけて活躍した公卿。校書殿の官人として仁明天皇に仕え、その知遇を得て昇進を遂げる。承和13年(846年)の善愷訴訟事件では、同僚の弁官を弾劾し失脚させる。藤原種継暗殺事件で没収された加賀国の水田を返還させるなど、強引な手法で影響力を拡大。清和朝においても順調に昇進し、貞観6年(864年)大納言となる。貞観8年(866年)、応天門の変では左大臣・源信を告発するが、後に自らが犯人とされ伊豆国に流罪。貞観10年(868年)、配所で死去。狡猾で弁舌に優れたが、人と打ち解けることは少なかった。



