甲斐徳美藩の第2代藩主として、初めは徳川秀忠の小姓を務め、下総相馬郡に所領を得る。寛永10年(1633年)に甲府城番となり、良純法親王の警護や佐渡での反乱鎮圧で功績を挙げる。承応2年(1653年)に家督を継ぎ、明暦3年(1657年)の「郡崩れ」では大村藩への取り潰しを回避する。万治元年(1658年)には江戸城普請で功績を挙げ、従五位下・播磨守に叙位される。土佐藩と宇和島藩の訴訟では強い態度を示し、家綱に影響を与える。寛文2年(1662年)、不正会計の詮議中に刺殺され、享年60。跡を長男の勝政が継いだ。





