系譜で辿る日本史

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本多忠居ほんだただおき

本多忠居

政信系本多家7代

氏族称・藤原北家九条流
生没1771年 - 1819年
位階従五位下
官職 大和守
幕府職播磨山崎藩主

江戸時代中期から後期の大名で、播磨国山崎藩の第6代藩主を務めた。天明8年(1788年)に藩主となるが、実権は父が掌握し、寛政6年(1794年)から本格的に藩政を執る。しかし、先代の功臣である佐藤善五右衛門を殺害させるなど、暗愚な面が目立った。文化5年(1808年)には将軍・徳川家斉に不敬な態度を取り、文化9年(1812年)に病を理由に次男に家督を譲って隠居。文政2年(1819年)に49歳で死去。彼の時代に藩の財政は再び破綻した。墓所は東京都江東区の雲光院。

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