系譜で辿る日本史

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本多忠鄰ほんだただちか

本多忠鄰

政信系本多家9代

氏族称・藤原北家九条流
生没1811年 - 1874年
位階従五位下
官職 肥前守 肥後守 大和守
幕府職播磨山崎藩主

江戸時代後期の大名で、播磨国山崎藩第8代藩主。天保5年(1834年)、兄が病弱で隠居したため跡を継ぐ。藩財政再建を目指し、家臣を登用して倹約や金融改革を実施。幕末には大砲鋳造や海防に尽力し、第一次長州征討で功を挙げるが、第二次では軍費不足により出陣できず。学問奨励にも熱心で、藩校である思斉館を設立。戊辰戦争では当初幕府側に立とうとするも、新政府側に転じる。明治2年(1869年)に隠居し、明治7年(1874年)に63歳で没した。墓所は兵庫県宍粟市の大雲寺。

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