戦国時代から安土桃山時代にかけて活躍した武将。南部氏の家臣として2000石を領し、天正18年(1590年)の九戸政実の乱では、一戸城で九戸方の動きをいち早く南部方に報告し、篭城して援軍を待った。この間、流れ弾で負傷し戦死したとする虚偽の流言があったが、実際には生存していたともされる。篭城の功績により花巻城代となり、8000石に加増され、直愛と改名した。慶長3年(1598年)に鉄砲傷が悪化し死亡したとされるが、寛永20年に死去とする異説もある。死後、花巻城代の地位は父が継いだが、父の死により北氏は断絶した。信直の娘を安東愛季の弟に嫁がせたが、早世により実家に戻り、檜山御前と称された。










