江戸時代中期の旗本である。正保3年(1646年)に生まれ、寛文6年(1666年)に家督を継承し、御書院番に任じられる。延宝7年(1679年)から天和元年(1681年)まで屋敷改を務めた後、御使番に転じ、上野国安中や下野国宇都宮などの引渡し役を歴任。天和2年(1682年)に所領を加増され、布衣の着用を許可される。貞享4年(1687年)に目付となり、元禄元年(1688年)には堺奉行、翌年には従五位下丹後守に叙任。堺奉行廃止後は寄合に属し、元禄10年(1697年)に知行地を与えられる。元禄16年(1703年)に長崎奉行となり、正徳3年(1713年)に職を辞し、享保5年(1720年)に隠居、享保10年(1725年)に80歳で死去。




