陸奥国磐城平藩の第4代藩主として、内藤義孝は貞享2年(1685年)に家督を継いだ。俳号「露江」を持ち、優れた俳人としても知られるが、父のように俳句に耽溺せず、松賀一派の専横を抑える努力をした。藩政では湯本神社の建設などにより藩の安定化に尽力し、初代藩主内藤政長に次ぐ名君と称される。しかし『土芥寇讎記』には、武芸を学ばず、猿楽にのめり込み浪費したと批判されている。正徳2年(1712年)に病死し、跡を次男・義稠が継いだ。義孝の具足は宮崎県延岡市の文化財として保存されている。
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内藤義孝の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
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