筑後国柳河藩の第9代藩主として、藩政改革に取り組んだ。文化5年(1808年)に養父の娘と結婚し、文政3年(1820年)に家督を相続。藩校伝習院を創設し、検見法を石見に改め、米札発行、郷方仕組を制定するなどの政策を実施。農業の副業奨励、新田開発、有明海沿岸の埋め立てにも力を入れた。また、幕府から鶴岡八幡宮の普請手伝いを請け負う。文政13年(1830年)に長男を嗣子とし、同年に江戸で42歳で死去。跡を継いだ長男が夭逝したため、次男が替え玉として立てられた。
主な祖先
立花鑑賢の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
主な子孫











