系譜で辿る日本史

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則子女王のりこじょおう

(徳川則子)

則子女王

伏見宮邦家親王の王女

紀州藩第14代藩主・徳川茂承の正室

氏族皇族
生没1850年 - 1874年
位階
官職
幕府職

嘉永3年(1850年)に伏見宮邦家親王の第八王女として生まれる。安政5年(1858年)に紀州藩第13代藩主・徳川慶福との縁談が持ち上がるが、慶福の将軍就任で消滅。翌年、徳川茂承との縁談がまとまり、降嫁する。文久の改革で参勤交代が緩和され、和歌山城に居住。慶応4年(1868年)に新政府の命で江戸を退去。明治2年(1869年)、長男を出産するが夭折。明治4年(1871年)に廃藩置県で東京府へ移住。和歌や書、絵画に優れたが、明治7年(1874年)に25歳で病没。墓所は池上本門寺。

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