南北朝時代の公卿であり、南朝に仕えた坊門親忠は、参議坊門清忠の子として父と共に吉野へと入った。具体的な官歴は不明だが、延元2年/建武4年(1337年)に侍従、延元4年/暦応2年(1339年)に少納言など、多くの官職を歴任した。歌人としても活動し、『新葉和歌集』には2首の和歌が収録されている。正平14年(1359年)に従二位前権中納言民部卿で薨じたとされるが、その後も存命していた可能性がある。正平20年/貞治4年(1365年)の歌会や五条家への書状がその証拠とされる。最終的な薨去の時期は不詳であるが、和歌や書状によってその存在が確認されている。











