平安時代後期から鎌倉時代前期の公卿で、藤原北家道綱流に属する。安元3年(1177年)に従五位下に叙爵され、以後昇進を重ねる。名を資能から定季に改めた建久5年(1195年)には正五位下、建久7年(1196年)には従四位上、承元元年(1207年)には従三位に叙され公卿に列する。承元元年12月(1220年1月)には正三位に進んだ。篳篥を父・定能から受け継ぎ、正治元年(1199年)や承元2年(1208年)の上皇御幸での演奏が確認されている。天福2年(1234年)に散位のまま62歳で薨去。
主な祖先
藤原定季の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
主な子孫











