平安時代後期の公卿であり歌人でもある。従五位下に叙爵された後、信濃権守や左近衛少将などの武官を歴任し、堀河天皇の即位に伴い蔵人に任命される。堀河天皇に近臣として仕え、中宮権亮や蔵人頭などを務め、承徳2年(1098年)には参議に任ぜられ公卿に列せられる。康和2年(1100年)には「源宰相中将家和歌合」を主催し、『堀河百首』を編纂。金葉和歌集に初めて登場し、以降37首が勅撰和歌集に採録される。天永元年(1110年)に病を発し、翌年に出家し薨去した。享年43。死後、娘たちは藤原忠通の妻妾となり、子孫を残す。





















