戦国時代の公卿であり、吉田家8代当主。官位は従二位・侍従・神祇大副兼右兵衛督。永正13年(1516年)、少納言・清原宣賢の次男として誕生し、吉田兼満の養子となる。養父が大永5年(1525年)に出奔したため、10歳で家督を継ぎ、父・宣賢の後見のもと、唯一神道の道統を継承。祖父以来の神道説を全国の神社・神職に広め、宗源宣旨や神道裁許状を発行。周防国大内氏、越前国朝倉氏、若狭武田氏に招かれ神道伝授を行う。元亀4年(1573年)に58歳で薨去し、遺言により吉田神社近くに祀られる。
主な祖先
吉田兼右の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
主な子孫











