宝暦12年(1762年)、父である桃園天皇の死去により、わずか5歳の英仁は皇位継承者となる。しかし、幼少であることから姉の後桜町天皇が即位。明和5年(1768年)に立太子され、明和7年(1771年)、伯母の譲位を受けて即位。安永2年(1773年)には地下官人による不正が発覚し、江戸幕府が介入。この事件は「安永の御所騒動」として知られる。病弱であったが10年間在位し、安永8年(1779年)に22歳で崩御。欣子内親王のみを残し、後継は閑院宮家から光格天皇を養子として迎えた。陵は京都府京都市の泉涌寺内にある。
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後桃園天皇の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
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