桜町天皇の第一皇子として生まれ、延享4年(1747年)に立太子し、同年に践祚。翌年の延享5年/寛延元年(1748年)に即位し、元号を寛延に改めた。漢学に優れ、蹴鞠の作法も優美であったと伝えられる。宝暦7年(1757年)に垂加流神道説に傾倒し、翌年の宝暦事件では朝廷内の尊王論者が幕府により処罰される事態が発生した。宝暦12年(1762年)、22歳で崩御。墓所は京都府京都市の泉涌寺内にある月輪陵とされる。皇居の皇霊殿では、他の歴代天皇・皇族とともに霊が祀られている。
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