江戸時代中期の公卿である一条兼香は、元禄14年(1701年)に一条家に養子入りし、学問に励む。兼香は後に内大臣や関白に任じられ、朝廷儀式の再興に尽力した。享保13年(1728年)には皇太子昭仁親王の東宮傅を兼務し、信任を得る。元文2年(1737年)には関白に就任し、大嘗祭の復活を実現。晩年には「官位御定」を巡る改革案を発表するが、内外からの反発により白紙撤回される。失意のうちに病に倒れ、60歳で没した。日記として『兼香公記』が残る。
主な祖先
一条兼香の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
主な子孫





















