江戸時代後期の大名である治紀は、文化3年(1805年)に水戸藩の藩主となる。治世は約10年で、藩政の難局に直面した。異国船の出没が相次ぐ中、武の強化に努め、軍制改革を行った。文化4年(1806年)には藩士に意見を求め、学者の進言を受けて藩政改革を試みた。特に、彰考館総裁の藤田幽谷を信頼し、意見を求めた。献金郷士制度は廃止されたが、財政改善には至らず、藩士の給料削減が行われた。沿岸防備を強化するも大きな成果にはつながらなかった。文化13年(1816年)に江戸で急死し、跡を長男の斉脩が継いだ。治紀の改革精神は三男の斉昭に受け継がれた。












