常陸国水戸藩の第6代藩主である。明和3年(1766年)、16歳で家督を継ぐ。治世40年間、藩の財政悪化と百姓一揆に悩まされ、安永7年(1778年)には幕府から財政立て直しを命じられる。天明の大飢饉を契機に改革を進め、寛政2年(1790年)には水戸に入国し藩政改革を断行。農村復興や学問奨励も推進し、『大日本史』編纂を再開。政治顧問として学者を登用し、政策に反映させた。文化2年(1805年)に55歳で死去。優れた文人でもあり、多数の著書を残す。跡を嫡男の治紀が継ぎ、子孫は幕末から明治維新期の徳川家当主として活躍した。
主な祖先
徳川治保の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
主な子孫















