鎌倉時代中期から後期の公卿で、日記『吉続記』を残す。寛元2年(1244年)に従五位下に叙され、以後、様々な役職を歴任した。亀山天皇の即位後、その側近として昇進し、文永年間には春宮権大進や左少弁などを務めた。建治3年(1277年)には参議として公卿に列し、後に権大納言に至る。正安4年(1302年)、亀山法皇への無礼で蟄居を命じられたが、後に出仕が許された。乾元2年(1303年)に出家し、延慶2年(1309年)に71歳で薨去した。法名は證覚。
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