鎌倉時代中期の公卿である。承元2年(1208年)に生まれ、建保2年(1214年)に叙爵される。以後、但馬国や美濃国の国司を歴任。しかし父が承久の乱で処罰されたため昇進が一時滞る。寛喜3年(1231年)に中宮権大進に任じられ以降、再び官歴を進め、仁治2年(1241年)に蔵人頭、翌年には従三位、参議となる。宝治2年(1248年)には正三位、権中納言に昇進。後嵯峨上皇の院司として重用され、院と六波羅探題の調整役を果たす。建長2年(1250年)に出家し、法名を定然とする。文永9年(1272年)に死去。日記『葉黄記』は貴重な史料であり、晩年には浄住寺の中興を手がける。
主な祖先
葉室定嗣の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
養父
配偶者
主な子孫





















