平安時代末期の武将である。1145年、高陽院の下級役人と闘乱事件を起こし、左衛門尉の任を解かれる。1156年の保元の乱では後白河天皇方に加わっていた可能性があるが、詳細は不明。1159年の平治の乱では、叔父と共に三条殿襲撃に参加し、後白河上皇の移送を護衛した。その後、六波羅合戦で源義朝方として陽明門を守備したが、官軍に寝返ったとされる。土岐氏の先祖とされるが、嫡宗を甥に相続させ、実子の子孫は伊賀氏を称する。藤原秀宗室となった一女は藤原秀康と秀能の母となった。
主な祖先
源光基の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
主な子孫











