鎌倉時代初期の武士で、鎌倉幕府の侍所所司を務め、執権北条氏の家令となった。承久3年(1221年)の承久の乱では北条泰時に従って上洛し、高い地位を持っていたことがうかがえる。その後は安芸国巡検使として乱の調査を行い、貞応3年(1224年)には泰時の使者として活動。御成敗式目の制定で奉行を務めるなど、泰時の被官として文筆に長けた。文暦元年(1234年)頃には侍所の所司に就任し、仁治3年(1242年)には出家して隠退した。建長元年(1249年)頃まで活動が確認され、建長2年(1250年)頃に死去したとされる。平頼綱は孫、長崎円喜は曾孫であるとされている。











