江戸時代後期、陸奥国一関藩の第10代藩主として活躍。官位は従五位下・右京大夫。文久3年(1863年)、一関藩主・田村通顕の養子となり、田村栄顕と名乗り、後に改名。慶応4年(1868年)の戊辰戦争において仙台藩と共に奥羽越列藩同盟に参加するが、敗戦して降伏。12月に隠居・謹慎となり、弟に家督を譲る。明治2年(1869年)に赦免され、新政府に出仕し、宮中勤番や海軍御用掛を歴任。明治15年(1882年)には家督を返上された後、明治17年(1884年)に子爵となる。明治20年(1887年)に36歳で死去し、家督と爵位は子が継承する。











