戦国時代の武将で、常陸国の佐竹氏に属する。佐竹南殿家の当主・佐竹義里の養子となり、常陸府中城を治める。那須氏の内紛に際し、大関高増に擁立されて那須資綱として介入。1567年、佐竹氏の陣代として約6,000騎を率いて那須領へ侵攻するも、那須勢の夜襲で大敗。翌年、那須資胤が隠居し、高増が後見人となったため、養子縁組の話は消滅。後に佐竹義重と那須資晴は和睦した。義尚の南家継承が那須家擁立の後とする説もあるが、佐竹義昭の書状から、南家継承後に那須氏当主に擁立された可能性が高い。
主な祖先
佐竹義尚の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
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