戦国時代から安土桃山時代にかけて活躍した武将で、島津氏の家臣。永禄元年(1558年)に生まれ、大隅国加治木城主として知られる。犬追物に秀で、天正3年(1575年)には多数の犬を射る記録がある。天正6年(1578年)の耳川の戦いでは主君・島津義久に従い、天正8年(1580年)の肥後国矢崎城攻めで敵を多数討ち取った。天正10年(1582年)から天正14年(1586年)にかけての各地の戦いにも参加し、豊臣秀吉の九州平定の際にも軍労を果たした。享年33で死去し、嗣子は無く、伊集院忠棟の三男・兼三が養子として跡を継いだ。











