戦国時代から安土桃山時代にかけて、安房国の大名として活躍した。永禄年間初めに父から実権を譲られ、名を義舜から義弘に改めた。北条氏と対立し、永禄4年(1561年)には上杉謙信の北条攻めに呼応したが、第二次国府台合戦での敗北により一時勢力が衰退。しかし、永禄10年(1567年)の三船山合戦で北条軍を撃破し、勢力を回復。領国体制を安房国から上総国・下総国に築き上げた。天正5年(1577年)、後北条氏と和を結び、翌年急死。遺言により領土分割を命じたため、死後に里見氏の分裂を招いた。義弘は民衆の声を統治に反映させるため、落首を推奨するなど統治に工夫を凝らした。











