江戸時代前期の大名である。豊後国佐伯藩の第5代藩主として天和2年(1682年)に家督を継承。同年に徳川綱吉に御目見し、天和3年(1683年)には従五位下駿河守に叙任された。貞享元年(1684年)には南部行信の五女・幕子との結婚が許可されたが、性格や健康問題から夫婦関係は悪化し、貞享4年(1687年)に離婚。元禄元年(1688年)には実弟を養子に迎える。藩政では農業改善に努め、元禄4年(1691年)に小田井路を開かせた。元禄12年(1699年)に隠居し、正徳6年(1716年)に佐伯で死去した。享年50。








