江戸時代後期の大名で、広島新田藩5代藩主を務めた後、広島藩11代藩主となる。文政4年(1824年)、広島新田藩主の婿養子として家督を継ぎ、従五位下・美作守に任官。後に広島藩主を継ぎ、安芸守と改称。財政難に直面した広島藩の改革を実施し、野村帯刀・辻将曹を家老に登用して藩政を立て直す。慶応2年(1866年)、第二次長州征討で停戦を主張し、岡山・徳島両藩主と共に幕府・朝廷に請願。明治元年(1868年)、明治新政府に恭順を示し、翌年には宗家の家督を譲り隠居。明治4年(1871年)、東京移住を阻止しようとする「武一騒動」が発生。明治5年(1872年)、61歳で没する。墓所は広島市の神田山墓地。











