江戸時代後期の大名であり、安芸国広島藩の第9代藩主を務めた。官位は従四位上・安芸守、左近衛少将。父から家督を継ぎ、藩主としての責務を果たしたが、広島藩は天保の大飢饉や河川工事、婚儀などで財政難に直面した。このため、野村帯刀を登用して藩政改革を試みたが、効果は限定的だった。天保6年(1835年)には広島城の鬼門に位置する明星院に初代浅野長政を祭神とする社を建立。安政5年(1858年)に長男に家督を譲って隠居し、備後守と改称。慶応4年(1868年)に52歳で死去した。墓所は広島市の神田山墓地にある。











