内藤政養は、江戸時代後期の大名で陸奥国湯長谷藩の13代藩主。安政4年(1857年)に生まれ、幼名は長寿麿。文久3年(1863年)、養父の死去により家督を継承。慶応4年(1868年)、新政府軍から会津攻撃の命令を受けるが、奥羽越列藩同盟に参加し、自ら戦場に立つ。同年、新政府軍の攻撃により湯長谷陣屋を攻略され、仙台城下に避難。その後、降伏を申し入れ、東京で幽閉される。明治元年(1868年)、養子に家督を譲らされ隠居、所領も減らされる。明治2年(1869年)に謹慎が解かれ、明治44年(1911年)に死去した。享年55。











