戦国時代の武将として備後国甲山城を治めた。尼子氏、大内氏、毛利氏らの勢力と独立を維持しつつ、周辺諸国の亡命者を保護した。大永7年(1527年)には大内義興の命を受け、和智氏討伐に参陣。天文元年(1532年)、尼子経久とその三男・塩冶興久の争いで、興久を匿うも、尼子氏との関係が悪化。毛利元就の家臣と親交を深め、渡辺氏再興を支援。天文5年(1536年)、尼子氏の侵攻で甲山城を奪われ、隠居に追い込まれた。天文22年(1553年)に死去。
主な祖先
山内直通の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
養父
配偶者
主な子孫

