室町時代中期の武将である朝倉教景は、朝倉氏の5代目当主として越前国で活動した。斯波氏の被官でありながら、室町幕府の命を受けて度々関東に出兵した。永享10年(1438年)には、足利持氏による永享の乱を鎮圧するため、駿河の今川範忠や甲斐の武田信重らと共に関東へ出兵し、この乱を収めた。その後の結城合戦でも、持氏の遺児を生け捕りにするなどの戦功を挙げ、嘉吉元年(1441年)に足利義教から「教」の偏諱を賜り「教景」と名乗るようになった。嫡孫の孝景を補佐し、寛正4年(1463年)に84歳で死去。心月寺は孝景によって創建された。



