室町時代中期の武将である。信濃守護として府中小笠原氏の祖となる。応永18年(1411年)、幕命に従い飛騨の乱の鎮圧に参加し、嘉吉元年(1441年)には結城合戦や赤松満祐討伐で功績を挙げる。足利義教の命を受け関東に出陣するも、家督相続を巡る争いで叔父や従弟と対立。文安3年(1446年)、実力行使で従弟を討つも、家督奪取に失敗。信濃守護となるが、後に再び解任される。享徳2年(1453年)以降も家督を巡る争いが続き、寛正3年(1462年)に67歳で没する。子の清宗が後を継ぎ、光康とその子家長と対立を続ける。
主な祖先
小笠原持長の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
主な子孫





















