安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。里見氏の家臣として活躍。大多喜城主・正木憲時の謀反後、正木氏の名跡を継ぎ、里見家の実力を支える。天正18年(1590年)に兄が上総国を没収されると安房に移り、8000石を与えられ筆頭重臣となる。慶長19年(1614年)、大久保忠隣失脚に連座して主君が配流されるが、駿府で徳川家康に呼ばれる。江戸に移され、罪人として鳥取藩に預けられるが、家老衆と懇意にされ、合力米2000俵を給付される。寛永7年(1630年)に病死し、倉吉の大岳院に葬られた。怪力の持ち主で、相撲の技が賞賛されたという伝説がある。











