徳川家茂は江戸幕府第14代将軍として安政5年(1858年)から慶応2年(1866年)まで在任した。13歳で将軍に就任し、南紀派の支持を受けていた。文久2年(1862年)に和宮と結婚し、公武合体を進めた。将軍としては文久3年(1863年)に229年ぶりに上洛し、攘夷を約束したが、その権力は将軍後見職の一橋慶喜により抑制されていた。慶応2年(1866年)、第2次長州征伐の途上で病に倒れ、大坂城で21歳で薨去した。遺体は江戸に運ばれたが、後継者問題は解決されず、徳川慶喜が次期将軍となった。家茂の治世は短く、幕末の動乱期における幕府の困難な状況を象徴した。











