戦国時代の公家である。永正7年(1510年)に従五位下に叙され、その後、蔵人頭や右大弁を歴任。天文4年(1535年)に正四位上参議となり、翌年には従三位権中納言に昇進。天文11年(1542年)には従二位権大納言に就任するが、翌年に子の国光にその地位を譲る。その後、天文22年(1553年)に大納言に復帰し、弘治3年(1557年)には内大臣となるが、間もなく隠居。永禄10年(1567年)に没する。武家伝奏としても活動し、天文5年(1536年)には周防国の大内義隆のもとを訪れている。
主な祖先
広橋兼秀の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
主な子孫





















