奈良時代の公卿である大伴潔足は、聖武朝末から孝謙朝にかけて越前掾を務めた。東大寺の寺田選定や土地購入に関与し、天平宝字2年(758年)には山陰道に問民苦使として派遣された。淳仁朝では式部少丞を経て従五位下・礼部少輔に叙任され、因幡国の国司を歴任した。宝亀2年(771年)には従五位上、正五位下と昇進し、治部大輔に任ぜられ京官に復帰する一方、地方行政にも関与した。光仁朝末には正五位上・左兵衛督となり、桓武朝では美濃守、大蔵卿、兵部大輔など武官を歴任。延暦9年(790年)には参議として公卿に列し、延暦11年(792年)に77歳で没した。




