平安時代末期から鎌倉時代前期の武将であり、鎌倉幕府の御家人。遠江国の相良荘で生まれ、父が失った領地の一部を継承。建久9年(1198年)、源頼朝の命を受けて肥後国人吉に下向し、矢瀬主馬佑に人吉城を明け渡すよう求めたが拒否され、平川義高の協力を得て人吉城を奪取した。頼朝の死後に出家し、北条氏に服属。承久の乱では北条時房に従い宇治川の戦いで功を挙げ、相良荘の旧領回復を許された。晩年、平川義高との血敷原の戦いで義高を滅ぼすが、その後、幕府から所領を一部取り上げられた。建長6年(1254年)に78歳で死去。法号は蓮佛。
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