江戸時代前期から中期にかけての大名である陸奥盛岡藩の第3代藩主。幼少期を閉伊郡花輪村で過ごし、百姓の子とも分け隔てなく遊んだ。寛文4年(1664年)、兄・重直の死後、盛岡藩8万石を相続し、将軍徳川家綱に御目見する。後に従四位下に昇進し、藩の石高は10万石に高直しされる。仁政を施し、領内の総検地や新田開発、銅山開発を進めた。盛岡城の修復や北上川の防災事業も行い、善政で盛岡藩を安定させた。和歌を好み、飛鳥井雅章らに学ぶ。元禄15年(1702年)に江戸で没した。享年87。
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