江戸時代の武士で、陸奥国盛岡藩の筆頭家老を務めた。寛永18年(1641年)に遠野南部家の初代当主の長男として生まれる。承応3年(1654年)に江戸に出府し幕府の証人を務め、万治元年(1658年)に元服し遠野の家政を任された。延宝3年(1675年)には家督を相続し、遠野領内の検地を行った。延宝4年(1676年)、弟に2000石を分知し「附馬牛八戸家」を創設させた。天和3年(1683年)に弟が死去すると、家督を継いだ竹之助が早世し、附馬牛八戸家の一部が本家に返還された。元禄元年(1688年)に死去。享年48。東叡山寛永寺門主公海との交流を通じて、京の公家に古文書の解読を依頼するなどの文化的活動も行った。








