江戸時代前期の大名で、越後高田藩主。1615年(元和元年)に北荘藩主松平忠直の嫡男として生まれ、母は将軍徳川秀忠の娘であった。1621年(元和7年)には江戸に赴いて外祖父である秀忠に初めて御目見し、数年間江戸で養育された。1623年(元和9年)、父が豊後国に配流されると当主不在となった北荘藩から越前に迎え入れられるが、幕府の方針転換により江戸に戻ることになった。後に越後高田に26万石を与えられ、高田藩を立藩した。藩内では1666年(寛文5年)の地震で多くの被害を受けたが、復興に努めた。また、幕府の政治に関与し、婚姻政策にも影響を与えたが、後に越後騒動に巻き込まれ、1681年(延宝9年)に藩は改易され伊予松山に配流された。1693年(元禄6年)、養嗣子を迎え、1698年(元禄11年)に津山藩が立藩した。1707年(宝永4年)に93歳で没し、長寿を全うした。






