美作津山藩初代藩主として、延宝8年(1680年)に生まれる。元禄6年(1694年)に元高田藩主松平光長の養嗣子となり、元禄11年(1698年)には美作10万石を与えられ津山藩を立藩。国持大名として幕府から待遇される。藩の運営には実家や養家の家臣、さらには津山旧領主の遺臣などを登用し、積極的な藩政改革を行う。元禄16年には佐竹義処の娘を正室に迎えるが、年貢の高さから高倉騒動が発生する。これを収めた後、農村支配制や財政の改革を進めた。立藩早々に江戸の上屋敷が勅額火事で焼失し、藩財政に負担を与えられるも再建を果たす。享保6年(1721年)に42歳で死去し、跡を長男が継いだ。









