江戸時代前期の大名で、幾度も転封されたことで知られる。幼少で家督を相続し、姫路藩主としての任務が不適当とされ、越後村上藩に国替となる。村上藩では城下町の整備や城郭の改修を行うが、重税が原因で農民の逃亡事件が発生。成人後、姫路藩主に復帰するも、越後高田藩のお家騒動の調停で失敗し、領地を減らされ豊後日田藩に国替。日田でも財政難に苦しむ。最終的に出羽山形藩、さらに陸奥白河藩へと転封され、財政難が続き「引越し大名」とも呼ばれる。文化活動にも精通し、能や歌舞伎、和歌や絵画に関心を持ち、村上藩主時代には鷹狩や釣りも楽しんだ。元禄8年(1695年)に54歳で死去。
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松平直矩の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
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