江戸時代末期の大名であり、明治時代には華族となった人物。小田原藩の9代藩主を務め、安政6年(1859年)に養子として家督を継ぐ。文久3年(1863年)には奏者番に任じられ、元治元年(1864年)には将軍徳川家茂の上洛に従う。慶応3年(1867年)から翌年にかけて甲府城代を務め、戊辰戦争では官軍に恭順しつつも一時旧幕府軍に協力。しかし、その後は再び官軍に恭順する。明治元年(1868年)の戦後、裏切りが問題視され蟄居処分を受けるが、家名存続が許される。明治8年(1875年)に家督を再び継ぎ、明治17年(1884年)には子爵に叙される。明治30年(1897年)に57歳で死去。











