戦国時代から安土桃山時代の公卿で、武家伝奏として足利将軍家や三好氏、織田信長らと交流を持った。大永3年(1523年)に生まれ、天文19年(1550年)に参議・右大弁となる。永禄11年(1568年)に名を晴右に改名し、同年に織田信長の支援を受けた足利義昭が将軍となると、従来の義栄派として蟄居を命じられるものの、後に赦免される。天正4年(1576年)には信長の怒りを買い再び蟄居を命じられるが、同年8月に赦免された。天正5年(1577年)に死去し、後に内大臣と左大臣を追贈された。著した日記『晴右公記』は京都大学が所蔵し、『続史料大成』に収められている。





















