室町時代中期の武将である。島津氏に仕え、新納氏の3代当主として活躍。永享13年(1441年)、島津氏が室町幕府6代将軍・足利義教から日向国に潜伏する義教の弟・大覚寺義昭を討つよう命じられると、主君・島津忠国の命を受け、樺山教久らとともに討伐に赴き、義昭を自害に追い込む。また、忠国が弟・用久と対立した際には、忠国を諌めて和解に導く。文安6年(1449年)に死去し、家督は子・忠治が継ぐ。娘の一人は忠国に嫁ぎ、島津氏10代当主・立久を産む。
主な祖先
新納忠臣の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
主な子孫





















